2011年4月3日日曜日

【CG】 Roots 会社-前編

さて、今日は僕が今までに通った学校、会社などを紹介しながら、どのように人たちと知り合い、どのような影響を受けて、今に至ったかを紹介したいと思います。 僕がはじめてCGという存在を知ったのは映画という媒体を通してだったのですが、自分がコンピューターを使って、はじめて何かを作ったのは専門学校に入学してからでした。

僕が通っていた専門学校はコンピュータ総合学園HAL大阪校の4年制のマルティメディアコースに通っていました。当時はCGと言うよりは、コンピューターについて学ぶという認識の方が強かったかもしれません。まだ、この頃はCG映像と言う分野が、現在ほど確立されていなかったので、多くの人がゲーム、マルティメディア学科に流れて、CG学科を選考したのは十数名ったと記憶しています。

HALを卒業して未だに業界で活躍している同級生は数名ほどしか居ませんが、時折、連絡を取り合い、お互い刺激しあったりしてます。 その後、僕は大阪にあった小さな映像プロダクションとは名ばかりの印刷会社、株式会社テムプロのマルティメディア制作部に就職しました。ここではHALの同級生3名が就職したのですが、映像関係に仕事に就いたのは、僕を含めて二人だけでした。この当時は3D studio MAXといソフトを使って、主に建築関係のCGを作成していましたが、この頃はCGを仕事にしているだけで楽しかった気がしました。ただ、仕事に関しては長時間労働で安月給でしたね(笑)

勤めて2年ほどして、同期だった同級生がDML大阪支社に転職したのを気に、僕の中でエンターテイメント性のある仕事がしたい!という気持ちが芽生え始めました。この同級生は今では、DLM大阪支社でディレクターをしています。

僕は元々映画やゲームが好きだったし、この頃はスクウェアUSA(ホノルルスタジオ)でCGで作られた映画!と言うのがTVや雑誌で非常に注目を集めていましたし、FF7の影響でゲームも3D化の波が押し寄せていましたから、僕にとって非常に興味深い分野でした。 その後は、1年半ほど自分のスキルを磨きつつ、転職の道を探していました。そんな時ですね、大きな転機が訪れたのは。ちょっとした機会があって、東京で働いているアーティストの人たちと会う機会がありました。これが僕にとって大きな転機となりました。この出会いが僕に上京を決意させました。

東京への上京を決意し、色々な会社を中途採用で受験しましたが、最終的にはSQUARE-ENIXをいう会社を選択しました。いくつかの会社から内定を頂いたのですが、当時のSQUAR-ENIXは日本でも最高峰のCG映像専門の部署、VISUAL WORKSという部署がありました。これが僕の決め手になりました。ホノルルUSAからの帰国したアーティストも多く、自分自身のスキルを更に磨き上げる事が出来ると思ったからです。

SQUAREでの6年間が僕のCGを生業とする上で、非常に多くの人との出会いを与ええてくれたし、非常に多くの影響を僕に与えてくれました。次回はSQUAREで僕がどういった人たちから影響を受け、どういった経緯で海外を目指したかを紹介したいと思います。

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